大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大津地方裁判所 昭和51年(わ)349号 判決 1977年11月14日

主文

被告人を罰金五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

本件公訴事実中覚せい剤取締法違反の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五二年四月二二日午後八時一〇分ころ、普通乗用自動車を運転して大津市真野町地内のパークホテル「舞」先の十字路交差点に西方からさしかかり、同交差点を右折南進しようとしたところ、同交差点の南側手前に猪飼幸一(当時二八年)運転の軽四輪自動車が一時停止していて、円滑に右折できなかったことから、猪飼に車を下げるよう迫るも、同人がすぐに応じなかったので腹を立て、同車運転席外側から座っている同人の顔面を手拳で数回殴打し、かつ同人の襟元を掴んで押したりして暴行を加えたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金五万円に処し、右の罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する(訴訟費用はもっぱら覚せい剤取締法違反の点にのみ関係するものであるから、被告人の負担すべき訴訟費用に該らない)。

(一部無罪の理由)

本件公訴事実中、覚せい剤取締法違反の公訴事実は、『被告人は法定の除外事由がないのに、昭和五一年一一月一六日ころの午後五時ころ京都市山科区御陵荒巻町九の三佐々木荘二階居室において、顔見知りの通称「ジュン」(二三才位の男)を介し、フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤粉末約〇・一グラムを水で溶かし注射器を用いて自己の右腕に注射し、もって覚せい剤を使用したものである。』というのである。

検察官は右公訴事実に対する証拠として、被告人の右事実を自白した捜査官に対する供述調書のほか、その補強証拠として、昭和五一年一一月一八日に被告人から尿の任意提出を受けこれを領置した旨の任意提出書と領置調書及び右領置した被告人の尿を鑑定し、尿中の覚せい剤の成分の含有が認められる旨の鑑定書を提出し、弁護人において、右任意提出書と領置調書はこれを証拠とすることに同意し、右鑑定書については、その作成者の本吉護を当公判廷で証人尋問のうえ、刑訴法三二一条四項の規定に則り、証拠調がなされたものであるが、弁護人は被告人の尿の押収手続は、被告人から任意に提出されたようになっているものの、その実体は捜査官が被告人の意思を押えて提出を強いたものであって、右押収手続は違法であり、従って違法な押収手続に基いて作成された前記鑑定書は、証拠として許容されえず排除されるべきであると主張する。

そこで、被告人の右尿の押収手続の経過を検討するに、《証拠省略》を総合すれば、次のような事実が認められる。すなわち、

かねて滋賀県堅田警察署の防犯少年係に被告人が覚せい剤を使用している風評の情報がもたらされていたので、同係では被告人に対する捜査の機会をうかがっていたが果せないでいたところ、たまたま昭和五一年一一月一八日午前九時ごろ、被告人が同署交通課に自動車運転免許証の書替えの件で出頭していることが連絡されたので、以前少年時代の被告人を補導したことなどで被告人と顔見知りの同署刑事課所属の宇田真治巡査部長が防犯少年係長の中山純治の依頼で被告人を呼出しに行き、被告人に防犯で用があるそうだからちょっと二階に上ってくれと伝えて、被告人を同署二階にある防犯少年係の執務室に連行し、同係の石原幸三巡査に引継いだ。その際宇田は被告人に防犯で尿を出してくれと言っている、それは君の体のためでもあるなどと説明したものの、被告人から尿の提供を求めるにつき、その目的を曖昧にしたまま明らかにせず、被告人に対する覚せい剤使用の容疑についてその事情を聴取することもなかった。また石原巡査も宇田から被告人に採尿の説明がなされているものと思い込み、ただたんに被告人に尿を出してくれと要請するのみで、それ以外なんの説明もしなかった。一方被告人は、防犯少年係の執務室に連行され、石原巡査から尿を出してくれと言われた際、一旦、今は出ない、仕事もあるし帰してくれと迫ったが、石原から尿が出るまで待っていてくれと言われ、それ以上逆らいもできず、排尿の提供を求められるのは覚せい剤の関係ではないかと薄々悟るにいたったものの、石原巡査の目前にある椅子に坐って排尿の時機がくるのを待った。そして、その間被告人から石原に「まだですか」と問い、石原からは「尿を出すまで待ってくれ」といったやりとりが続き、早急に排尿できるようにと、湯茶を飲み、はては石原が買ってきてくれたジュースを飲んだりした。そして結局、当日午後一時過ぎにいたってようやく排尿ができたので、石原が被告人から右排尿の提供を受け、任意提出書に被告人の署名押印を求めたうえ、排尿を押収した後、被告人を帰宅させた。

以上の事実によれば、被告人は堅田警察署にたまたま他の所用で出頭した機会に、捜査の警察官から突如排尿の提供を求められ、結局はこれに応じたものであるが、当日の被告人の挙動等が覚せい剤使用の疑いを捜査官に抱かせたわけでもないところ、捜査官からもともとの被告人に対する覚せい剤使用の容疑について何の事情聴取もなされないまま、かつ採尿の目的を明確に告知されることなく、排尿の提供を要請され、四時間近い間警察署に留めおかれたすえに、その排尿が押収されたものということができる。なるほど、排尿は人の自然的生理現象であって、これをまって採尿することは直接身体に対し強制を加える必要はないし、身体に損傷を加えることもないのであるから、捜査の必要性や緊急性から任意捜査による採尿は許されるところであるが、しかし右採尿は、被疑者の真意に基づく明示的同意があり、かつその方法、程度が社会的に相当と認められるものであることが充足されていなければならない。しこうして被疑者の真意に基づくといいうるためには、被疑者自身その採尿の目的を知っていることが前提になるし、また採尿の方法、程度の社会相当性は、採尿によって被疑者の被る身体上、精神上の障害、苦痛の程度等を考慮に入れて判断されることになる。本件においてみるに、被告人からの採尿につき、被告人の真意に基づく明示的同意が得られたものとはいいえないし、また採尿までの過程が長時間にわたり、いささかの無理強いが認められるところであってみれば、被告人からの尿の押収手続は、結局実質的に強制に基く押収となんら異るところがないと認めるのが相当である。してみると、被告人からの尿の押収は違法な押収というべきであって、その違法は令状主義を定めた憲法三五条及び刑事訴訟法上の諸規定の趣旨を失わしめる程度に重大なものであるから、このような手続によって収集された尿を資科とする鑑定書及び鑑定経過中の体験に基づく証人本吉護の尿中に覚せい剤の成分の含有が認められる旨の供述部分も、採尿の違法を帯有しているので、かかる証拠を罪証に供することは刑事訴訟における適正手続を保障した憲法三一条の趣旨に照らし許されないものというべきである。

そこで右証拠は本件公訴事実の認定に供しえないところ、本件にあっては右証拠を除いては被告人の本件公訴事実の自白を補強すべき何らの証拠も存しないので、結局本件公訴事実はその証明がないことになる。

よって本件公訴事実中、覚せい剤取締法違反の点について、刑訴法三三六条に則り被告人に対し無罪の言渡をする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 坂詰幸次郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例